ぼくが子供のころ、ほしかった親になる。

久しぶりにゆっくり行った本屋さんで、「ぼくが子供のころ、ほしかった親になる。」というステキな題名に惹かれ、思わず手にとりパラパラとページをめくってみた。お子さんがまだ2歳なのに、お父様であり写真家の幡野広志さんは多発性骨髄腫という血液のがんを患ってしまい、余命3年の宣告を受けてしまったという。その幡野さんが息子さんへ綴ったSNSのメッセージが話題となり書籍化したものだった。

私も同じような気持ちだったなぁと目頭が熱くなり、その本を買い、読んでみた。

最初の章は優しさについて語られていた。

〝優しいというのは、人の体や心の痛みを理解できる人。自分のできる方法で、手をさしのべることができる人。〟と書かれてあった。昔、私の心友が〝人の痛みは本人しかわからないけれど、出来る限りそれを想像して自分の出来る限りのことをしてあげたい‥。と言ってそばにいてくれたことがあり、この上なく嬉しかった。それ以来私もそういう強い人でいようとずっと理想としてきた。幡野さんの〝優しい〟というイメージは私の〝強い〟というイメージ、やっぱり人は強くないと優しくはなれず、優しい人は強いのかも知れないなぁ。

 

そして、幡野さんががんを公表してから、怪しげな代替療法やサプリメント、がんが消える○○療法の甘い勧誘が増えたというお話。私も同じ経験をし、「100パーセント私なら治せます!」と言う代替療法や「小さなお子さんがいるんでしょ、○○ちゃんのことをもっと考えてあげて!」と知り合いに勧誘された時には怒り以上に悲しかった。私って何なんだろう?「あぁがん患者って弱者なんだなぁ」と痛感し、幡野さんと同じく「もしあなたやあなたの一番大事な人ががんになった時に、それを是非使ってみてね!」と、言えば良かったと思わず笑ってしまった。そう、今だから笑えるけど。

 

それから、がんになったのは自業自得だと言われた話し。このSNS中心の世の中。幡野さんも初めはSNS上で発信なさっていらしたようだが、この匿名の何でもありの世界は私は好きではない。人間の醜いところをそれを平気でしかも堂々と世界中に発信している。たぶん、それはその人にとったら正義かも知れないけれど、自分より弱そうな誰かを貶めて少し勝ち誇ったようになる人はすごく弱くて不幸な人なんだと思う。戦場でがんと闘っている人がどんなに強いか知らないらしい。当たり前。そう、当たり前が当たり前でなくなることなんて誰も想像できない。でも、それを乗り越えると人は本当の意味で強くなる、と思う。人にどう言われたとしても大きな大きな山を乗り越えた自信は、下で騒いでいる人達にはわからない。サバイバーの方々の本を読んでいるとそう感じ、たくさんのパワーをもらえる。

 

幡野さん、そしてご家族の毎日がよりしあわせでありますように。

 

 

 

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