私が20歳の時に伯母からもらった指環。
これは親戚である平塚らいてふさんの夫の奥村博史さんが作ったものです。
奥村博史氏には私は会ったことがありません。私が生まれる少し前に亡くなられたそうです。
彼は画家でした。今思うと、おじおばの家に飾ってあった数々の絵はきっと彼の作品だったのでしょう。
また博史氏は、妻の指を飾るにふさわしい指環を作りたいと(ステキ!)彫金のアクセサリー制作を始め、それが人気を呼び、当時の大女優さん達は挙ってそれを身につけていたそうです。(1965年に奥村博史著「わたくしの指環」というのが出版されています。)
ですからうちの伯母達が付けている指環はみんな彼のお手製でした。
私の両親の結婚指環も彼の作品でした。silverの真ん中に細かい素敵な模様が施されている、シンプルで少し大ぶりのしっかりとしたものでした。父はその重い指環を左薬指にいつもはめていて、大切にしていました。外したのを見たことがありません。よほど気に入っていたのか、何かに怯えていたのでしょうか(笑)。一度、時代劇の撮影の時に外すのを忘れていてNGになってしまったそうです。
ただ、父に軽く頭をコツンとやられた時、いつも指輪が当たり、その痛さっていったらないんです!頭を撫でられても痛い!左手だったからまだしも、あれが右手で強く叩かれたら‥‥⁈ うぁ、考えただけでも頭が痛くなる。小さい頃、私はそれを武器と呼んでいました。本当にあの指環が怖かったぁ(笑)。忘れられない思い出です。
母は生前よく言っていました。夕方忙しくなる頃になるとしょっちゅう博史さんが散歩の帰りにうちに寄って下さっていたと。夕方になると人恋しくなり、すぐ近所のうちが何だか居心地が良かったのかも知れませんね。
人は有名になればなるほど、誰かにつくられた姿が一人歩きし、事あるごとに勝手に解釈され、生きた歴史さえもいつのまにか変えられていく。一番驚いているのは本人かも知れません。また偉大な功績の裏には多くの犠牲があるものだと、教えられました。
らいてふさんには何度かお会いできたけれど、博史さんにお会い出来なかったこと、とても残念に思います。彼の作品からはあたたかさと優しさを感じます。いい人だったのでしょうね。会いたかったです。
この指環にはいろいろな思いを感じます。
人と人との結びつき、縁、想い、愛‥‥
この指環を身につけられる奇跡に、感謝です。
素敵な指輪のお話、胸が温かくなりました。
佐竹先生が時代劇で指輪をつけたまんま…のエピソード、以前先生から伺って、劇団員みんなで笑ったら失礼だし、真顔で伺ってるのもおかしいし、リアクションに困った覚えがあります。
人と人の結び付き、ご縁、大切にしたいですね。
佐竹先生がいらっしゃったから、圭以子さんとも出会わせていただけたのですから(^ ^)
西川様
コメントありがとうございます。
はい。人と人との結びつき、ご縁、大切にしたいと常々思います。
これからもどうぞご活躍を、そしてお身体も大切になさって下さい。