6年前のあの日あの時、私は御茶ノ水の病院の皮膚科外来の待合室でひとりで順番を待っていました。前日、生まれて初めて抗がん剤を投与したのですが、血管漏れをしてしまったのです。担当の先生があわてて未認可の薬を打つなどして、応急処置をして下さったのですが、皮膚科の先生にも診ていただいた方がいいと、ちょうどその時、車椅子に乗りひとりで順番待ちをしていました。
抗がん剤の中には少量の血管漏出でも強い痛みが生じ、腫脹・水泡・壊死などの皮膚障害を起こし、潰瘍形成に至ることがあるので、早期の発見と処置が重要だそうです。
ピコーンピコーン‥
『まもなく大きな地震がきます。落ち着いて身の安全を確保して下さい。」
私は最初何のことかわからず、待合室のテレビの故障かとか院内アナウンスのトラブルかと思っておりましたら、まるで車椅子のストッパーが外れて壁を滑っていくような感覚、そしてそのまま天井まで行ってしまう、ああ、これはひどいめまい?まさか抗がん剤の副作用?聞いていない!どうなっているの?私はこのまま死んじゃうのかも‥‥⁉︎
気がつくと、さっきまであふれていた待合室の人も診察室を行ったり来たりしていた看護師さんも誰もいなくなって、私はたった一人で車椅子にしがみついていました。点滴をぶら下げて。もう、このままダメだと思いました。何が起きたかわからないけれど、せっかく病気を治して元気になれるチャンスをもらったのに、治療する前に別のアクシデントで死んじゃうのかもしれないと‥。世界にたった一人取り残された気分でした。
あれから何分くらいたったでしょう。私には5時間くらいたったように思えましたが、実際はたぶん30分くらい、長くても1時間くらいたったのでしょう。どこからか私の名前を呼ぶ声。見たことのある看護師さんが走ってきてくれました。「ごめんなさい、ほんと、ごめんなさいね。よかった、無事で。さ、病室に戻りましょう」私はその優しい声に涙が出ました。
あれから今日で6年。まだ避難生活をしている方がいらっしゃると聞きました。不安でしょう。不便でしょう。いろんな思いもあるでしょう。東京オリンピックに向かい、華やかな未来を迎えようとしている一方で、時間が止まっている場所もあるのです。
家族や仲間がこんなに大事に思え、日本中が命について改めて考えさせられた日。忘れられない日、そして忘れてはいけない日だったと思います。やらければならないこと、やるべきことやらないとね。
「絆」という言葉が、流行り言葉に なってしまいませんように。