ほんとうのしあわせ

昨夜、小林麻央さんのインタビューの番組を拝見していて思いました。

私も息子が3歳の時に血液のがんが見つかり、半年間抗がん剤の治療を受けました。当時、小さな子供を母親なしで育てたらいいのか途方に暮れ、私は区役所に相談に行きました。助けてくれる両親や親せきがいればいいのですが、私の場合なかなか難しい状況だったため他人の手をお借りするしかなかったのです。いろいろ福祉のことを調べても、幼児の母親が長期入院することはあまり想定されていないということでしたが、私はとても幸運なことに渋谷区ファミリーサポートセンターの支援を受けることになりました。区内の子供の世話をしてくださるボランティア登録をしている方が幼稚園の送迎をしてくれたり、短時間なら預かってくれる制度です。もちろん、そのほかに民間のベビーシッターもお願いすることにもなりましたが、本当に心温かい方々に出会いサポートしていただきました。ありがたい限りです。

その後、寛解し仕事も復帰していたのですが、わずか1年半で再発。大学病院で経過観察をきちんと毎月していたのに、再発の告知をされた時はもうすでに深刻な状態になっていました。寛解の数か月後から少しずつ目を覚まし始めていたのかもしれません。主治医の先生がおっしゃるにははじめての症例で再発か別の病気かわからなかったそうです。私は体調の不調を感じ、数か月間毎日39℃近くの熱とバットでたたかれたような体のあちことに出現する痛みを訴え、救急でも病院に行きました。しかし処方された痛め止めや解熱剤、様々な抗生剤で対処。再発でないことを信じていました。最後のほうはもう立つことすらつらくなっていました。主人は覚悟をしていました。しかし、覚悟をしていなかったのは私。私は全く覚悟していませんでした。”息子は誰が育てるの?主人一人ではきっと難しい。子供が生まれてくるのを待ち望んでていた私が親として責任もって育ててやらなきゃ!私は息子と共に生きていきたい、いや、生きないとならない、そのためならどんな治療でも受けたい”と思いました。それがわたしの覚悟でした。奇跡は起きました。最後の砦、日本一の血液内科の先生に移植の治療をお願いすることができました。本当に困ったときに手を差し伸べてくれた命の恩人が、何とかお仲間を通じて紹介してくださり、すぐに入院を引き受け入れてくださいました。その先生はデータをみて一言。「このままならあと1か月持ったか持たないかだった・・・」。でも、私はラッキーにも今こうして私は元気で生きています。息子のデコボコな成長ぶりをクスクス笑いながら、なんでもない毎日を過ごしています。どこかで”不運のスパイラル”とか言われているようですが(笑)、決してそんなことはありません。不運もあり幸運もあり、一番大事なときにはラッキーでした。健康な時と大病をした後の命の感覚がこんなにも違うものなのかと思います。それを味わえる幸せ、少し自慢です。そのくらいは許してください。そして、あの時に差し伸べてくれた手のぬくもりは決して忘れません。ありがとう。移植から3年と少しが経ちました。

 

 

4 Comments

  1. 高校生の時からファンでしたので、こうしてお元気になられた事を、大変嬉しく思います。病気などに負けないで、また素晴らしい歌を聞かせて下さい。

    1. ファンミンさん
      ありがとう。コメント、うれしかったです。はい、80歳まで歌い続けたいと思います。

  2. おかえりなさい、お元気そうでなによりです

    まるで遠ざかりかけていた思い出がいきなり目の前に現実として戻ってきたような気がしています

    どうかこれからもお元気でご活躍ください

    1. エドワードさん、ただいま!
      コメントどうもありがとう。エドワードさんもますますご活躍を!お互いに頑張りましょう。

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